「私考 知的障害者にとって自立とは」  第5章 生き方を教えて!

 この記事は2006年1月14日のものです。

 前回までの話は理想論。今回から、現実に目を向けて話を進めて行きたいと思います。といっても「理想を捨てろ!」という話ではありません。むしろ、理想を捨てると大変なことになるといった忠告と思って頂きたい。非常にショッキングな話が出てきますが、真剣にお受け取り下さい。

  第5章 生き方を教えて!

第1節 自殺の理由。或いは、人は簡単に人を殺す。

 物質というものには不可逆な性質があり、一度、壊れると、決して元には戻りません。しかも、これは、ほっておくと必ず壊れるのです。壊れて壊れて壊れてしまい、最後にはガスとなって飛び散ってしまいます。それが、今度は、少しずつ集まってきて、ダマとなり固まってくる。固まって固まって固まって、再び物質となります。宇宙のあらゆるものがこのようなサイクルを繰り返しているわけですが、この中で、生命というものだけが、壊れようとすれば即座に固まり、固まろうすれば即座に壊れるという振動を繰り返しているのです。このような状態になるのは何百兆の1の確立でしかありえないというのですから、何百億年もこの生命活動を繰り返している地球という生命体は宇宙の奇跡としか思えません。

 ところが、この奇跡の生命活動にピリオドを打とうするものがいます。それは、何を隠そう生命の進化の最上位にいる人間そのものなのです。(このことについては、詳しくは述べません。興味ある人は、アーサー・ケストラー著『ホロン革命』をお読みください。ここでは、人間は非常に危険な進化を遂げた生物であるという説だけを持ち出します。)
 人間は、他の生物とは決定的に違う進化を遂げました。それは、生命を司る脳そのものが環境に応じて発達するという能力です。しかし、それと引き換えに、とんでもないものを失ってしまったのです。他の生物なら当然のようにもっている、生きるための本能というものです。(この、一つ覚えの本能というものを捨てることにより、臨機応変に環境に適応できる能力を持つことができたのですが・・・)
 人は産まれ出たときには、歩くことはおろか、寝返りをすることも、ものを掴むことも、食べることも、見ることも、聞くことも、何もできません。かろうじて息をすることと、泣くことができるだけです。そのありったけの力を借りて、育ててもらおうとするわけですが、その間に物凄い勢いで脳を発達させるのです。

 しかし、決して忘れてはならないことは。この脳の発育は、決して本人の意思で行っているものでは無いということです。つまり、この間、間違った養育を受けると、脳は間違った発達を遂げるのです。しかも、この脳の発達はそれからも続いていき、更正するのがますます難しくなる、ということも忘れてはなりません。間違った教育、間違った思想は、その人を必ず間違った人間にしてしまいます。どんな人も、「人を殺せ!」と教えられれば、確実に殺人鬼になるのです。
 環境にそぐわない生き方を教えられた人は絶望的です。そんな環境の中では、その人は周りを抹殺するか、生きることを止めるしかありません。ここで、周りを抹殺することを選んだ人間が現れたとしてみましょう。そこでは、新たな思想が彼を支配し、それに応じて周囲も洗脳されていきます。憎しみは増殖し集団殺戮へと変貌していくのです。
 人は独りでは生きていけません。独りでは生きていけないから集団を作ろうとするのです。一旦、集団ができてしまえば、個人よりも集団が優先されます。ところが、そんな集団というものはどんな非常なことも成し遂げられてしまうのです。個人に責任が及ばないからです。差別や迫害というものも、集団では何の罪意識もなく行われてしまうのです。

 しかし、最も不幸な人は、生きることを教えられていない人です。その人は、簡単に集団に操られるか、孤独のままでいるしかありません。孤独でいるといっても、生き方を知らないのですから、生命に欠かせない性欲・食欲・睡眠欲という基本的な欲求も出てこなくなるわけです。不感症・拒食症・不眠症です。そして、生命は、何百兆の1の確立でしか起こらないという活動を停止してしまおうとするわけです。とることのできる唯一の自発的行動は、自殺しかありません。

第2節 福祉という恐ろしき幻想

 理学療法士の方に、お年よりのことをどう思うか聞いたことがあります。
 「一生懸命リハビリしているお年よりは偉い。」というような話をされるのかと思っていましたが、実際は、全く逆で、「充分元気なのに、介護保険を利用して楽しようとしてる。」という答えが返ってきてびっくりしました。つまり、要介護の審定を受けているほうがサービスが受けられるから、いつまでもリハビリを止めたくないのだというのです。リハビリとは社会復帰の為の訓練なのですから、できるだけ早く訓練を終えて、社会に復帰しなければならないのに・・・・・・う〜ん全く、老人ニートだ!
 これでは、全く逆効果で、むしろリハビリが社会復帰を遅らせているのが現状です。そして、いろいろなサービスを受けるものだから、ますます老いが早まるわけです。しかも、「お年寄りを大切に」と周りの人も親切にして、楽させようとして、これが福祉だと勘違いしている人たちが、圧倒的に多いのもいけません。ほんと「福祉ボケもいいかげんにしろ!」と言いたくなります。

 なぜなら、この福祉ボケは、本来最もしっかりとした療育を必要としているはずの発達障害児にまで及んできているのですから。「無理しなくてもいいんだよ。」から「無理しちゃダメよ。」になり「やってあげるから」となり、最後には「しなくていいから」となりかねないのです。第1節で述べましたように、これは大変不幸な結末を迎えかねない、危険な子育てです。
さらに、障害者の親の中には、「ウチの子は障害があるから」とか「ウチの子には無理なので」と社会や周りに執拗に配慮を求めてくる者もいます。逆に、家で大切に育てて立派な施設に入れようと、できるだけ社会とは関らないようにする親もいます。その結果、その子は一生涯、社会に加護されるだけで、自分では何もできず苦しみ続けることになってしまうかも知れないというのに・・・・・・・・・・・。あー、その先には何が待っているか?ああ!恐ろしきは、福祉という幻想!

 まず、3歳までにしっかりとした正しい療育を施さなければ、その子は人格障害をきたします。自律神経失調症に苦しむこともあれば、統合失調症の兆候が現れることもあります。さらに小学校高学年から中学校までに、良質な集団に参加させないでいると、愛も理性も持ち得ない人間になってしまい、人間関係で苦しみ、人間不信に陥ります。
 みなさん!「生まれつき不幸な子」なんていません。不幸なのは、不幸と思われ、甘やかされ、生きることを教えられなかったことなのです。

 本当の福祉とは、その人の可能性を信じ、チャレンジさせ、見守ることです。できるだけ、手を貸さないことです。できたら、思いっきり誉めてやることです。やってはいけないことをやったら叱ることです。(叱ることは重要です!叱られることはその人の人生の道標となります。)
そして、そのような方向性を持った集団に参加できるようにすることです。つまりは、親兄弟が地域が社会がそのような集団になるように施策を立てることです。

第3節 親亡き後の「親の会」の子

 我家も自閉症の子がいるので、この子の将来のことを考え、「親の会」に入会しています。今まで夫婦で思い悩んでいたことも、親の会に入ってからというもの、知り合いができ、互いに情報交換もできて、気持ちも落ち着いてきました。そして、この「親の会」に入っている限り、この子の将来にも希望が持てそうだな!とまで、感じてきていました・・・・・・・・・。しかし、それも、私たち親がこの「親の会」に入っている限りにおいてだけなのです。親亡き後の子は、もはや「親の会」の子ではないのです。
 なのに、「親の会」の会員は、みんな同じ不安を抱いています。それは、ここでも、やっぱり「親亡き後のわが子」のことです。ある親は、「子よりも早くは死ねない!」とまで言っています。いったい、これはどういうことなのでしょうか?何のための親の会なのでしょうか?ただ、同じ不安を抱いているだけの、情けない親達の集団でしかないのでしょうか?

 「障害のある子の親御さんは、大変な御苦労をされている。」それはわかります。
 「だから、みんなで力を出し合って子育てしましょう。」これもわかります。
 でも、「親がいなくなったら後は知らない?」では、薄情過ぎはしませんか?

と、そう感じている方も居られるのでしょうかね?
 でも、それが「親の会」なのです。「親の会」は親亡き後の子の面倒まで見てくれないのです。なぜなら、親の会なのですから。親のための集まりなのですから。
 ここにも、福祉という恐るべき幻想があります。「親の会」が子育てをしてくれるのではありません。子育てをしている人たちが「親の会」を作って活動しているのです。「親の会」の会員である限りは、しっかりとした親でなければなりません。親亡き後も立派に生きていけるように、我が子を育てようとする親でなければ、「親の会」は成り立ちません。それは、慰め合うだけの堕落した集団でしかないのです。
 そんな集団で育った子がどうなるか考えてみてください。我が子の叫びが聞こえませんか?

 「パパ、ママ、生き方を教えて!!!!!!!!!!!!!!!!!

(追記)
 ところが、生き方というのは、人それぞれ育った環境によって異なるものです。本当の生き方は、実は、本人が社会に出て見つけていかなければならないものなのです。しかし、ご存知のように、知的に障害のある人は、それが難しいわけです。
 次回からは、そんな「知的障害者がいかにして自分の生きかたを見つけていくのか?」ということを考えていきたいと思います。そこにこそ、【知的障害者にとっての自立】というものがあるわけです。

「私考 知的障害者にとって自立とは」  第4章 障害者による社会変革

この記事は、2005年9月17日のものです。

 前回は、障害のある人の芸術作品や芸術活動が、エイブル・アート・ムーブメントと呼ばれ、注目を集めているという話を致しました。今回は、それが、障害者理解や障害者の自立につながるといった障害者に対するモノだけではなく、それを取り巻く社会全体にも多大な影響を与えることを評価して、障害者自らが社会を変革していく力があることを知って頂きたいと思います。

第4章 障害者による社会変革

1節 悩める現代

 世界を大きく二つに分けると、共産主義自由主義に分かれる。共産主義の主張は「富は国民の共通の財産である。」という訳だけれど、現実は「働かざるもの食うべからず!」というポリシーの元、国民を厳しく監視する一党独裁の社会体制が敷かれている。一方、自由主義の主張はというと「全ての人に富を得るチャンスがある。」というのだが、現実は国家をも自由に操る巨大資本の傘の下、厳しい競争社会に打ち勝つために身を削る思いで働かざるを得ない。
 いかに「自由と平等」というものが【まやかし】であるかと知れば知るほど、「あっしにはカンケイのないこってござんす!」と、渡世の道に足が向いてしまうのは、私だけではなかろう! もっと別な言い方をすれば、「勝手にしやがれ!」或いは「カサブランカダンディー」って感じのハード・ボイルド・ロマンかな?
 まーこれはシネマの世界であって、浅田彰の『逃走論』を本当に実践できる人はそういないもので、やっぱり、家庭が大切と思うマイホーム・パパになる人が圧倒的に多い。しかし、それも防御を固める為の手段なのであり、実際には、只のオタク家族なのではないのかと、私は思っている。(失礼、私もその一人です。)
 ちょっと不審な行動をとっている人を見ると、(ひょっとしたら、その人は知的障害者かもしれない、或いは精神障害者かもしれない。)まず、関わりたくないと思うでしょう。そうーですよね、みなさん。見るからに不登校児、見るからに路上生活者とわかっていても、何とかしてあげようと思いますか? 思っていてもできないんじゃないですか?
 マザー・テレサが東京にやってきたとき、そんな日本人の行動を見て、

   この国には物質的に飢えている人はいないけれど、精神的に飢えている人が多い。
   それは、もっと不幸なことです。

とおしゃったそうです。
 それに比べて、貧困国インドの極貧の人の行いは、全く違っていました。
 彼女が一人インドで貧しい家族の人に施しをしたとき、その家族は感謝の気持ちをこめて彼女に施しを少し譲り、残りの半分を、もっと貧しい家族がいるからその家族に恵んでやってほしいと頼んだそうです。
 この話を聞いて、そんな甘い考えでいるから貧困から抜け出せないんだ!と思っている人は、ここから先を読まなくても結構です。あなたに伝えることは何もありませんし、伝えるつもりもありません。勝手に生きて勝手に死んで下さい!(そういう生き方もありますし、かつての私もそうでした。)
 少しでも情ある人だけ、続きをお読み下さい。

 障害者にとって、この「現代日本人の他者に対する無関心さ」は大変不幸なことですが、それだけではなく、障害者と関わらざる終えなくなる現代日本人にとっても、それはとても大きな障害となっているのです。(ある意味、みんな障害を抱えているということですね、これは。)
 それほどに、現代社会は病んでいるのです。

2節 なにも与えることのできない人の気持ち

 「福祉を変える経営」で故小倉昌男さんは、「自分で稼ぐことが真の自立」だと強く主張しておられました。じゃあそれができない障害者は自立できないのか?というと、「できないことは無い」と言い張り、障害者でも稼げる方法を提案し実践しました。そしてそれは成功を収め、障害者でも自分で稼げることを実証しました。
 確かに、それはすばらしいことです。しかし、なぜが私には納得がいかないものが残っております。(この気持ちは、障害者自立支援法に関しても同じです。)それは、「金儲けだけが人生じゃない」とでもいいましょうか、「人はパンのみにて生きる者にあらず」とでもいいましょうか、「金では買えない物もある」とでもいいましょうか・・・・
 例えば、乞食は、托鉢をしているお坊さんは、寄付金で運営している修道院は、つまりは世俗的な生活をしている人たちは、何を売って糧を得ているのでしょか?と、ここで問いたい。
 率直にいうと、彼らは「自分ひとりでは生きていけない」ということを実践しているのではなかろうか?と思う。人から施しを受けるということは、逆の見方をすれば、与える人に『生きることの本質』を見せ付けます。このことが、私たちを強烈に勇気づけ、同時に清らかな気持ちにさせる。
 ここでもう一度、〜スペシャルニードのあるお子さんを授かったご両親へ〜を開いて見て頂きたい。私は、「なにも与えることのできない人の気持ち」を、この悲しく美しい心の声を、忘れて欲しくない!
 『おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい』で「やさしさこそが大切で、悲しさこそが美しい」と詩っていた脳性麻痺の男の子の気持ちを、スーパー・オリンピックスの後の感想で知的障害者は私たちになくてはならない人だと思います。」といっていた小学生の正直な気持ちを、いつまでも絶やさないで欲しい。
 小倉昌男さんの言っていることが間違っているというわけではありません。しかし、「必ずどこかにスペシャルニードという人はいて、彼らの存在こそが私たちを励ましているのだということを、そしてそれゆえ、彼らは手厚く保護されなければならない存在なのだ!」ということを、言いたいのです。【働ける人が働き、必要とする人が受ける】という当たり前のことを当たり前と判るようになるまで・・・

3節 ありがとう障害者

 今、私は我が子が知的障害児であることを幸せに思う。もしも、彼に障害がなかったら、これほどまでに我が子を思いやることはなかっただろう。正直、我が子の数々の奇行を素直に受け入れられるようになるまでには、並々ならぬ苦労があった。しかし、その苦労がなかったら、私は、もっと人間を軽く見ていたに違いない。人それぞれに癖があり、思い描くことはまちまちで、決して完全には理解できないだろうけれども、互いに尊重しあうということが大切だということを、我が子を通して教えられたのです。
 障害のある子を見ていると、心の奥底からこみ上げてくるものがある。彼らが、彼らなりに一生懸命生きている姿を見ると、どうしようもなく涙があふれてくる。どうしてなのだろう?この、魂を揺さぶられる思いは、どこから起きてくるのだろう? それを素直に受け入れた時の、言いようの無い清清しさはなんだろう?
 今、私は、彼らと共に生きているという実感を覚える。ひとりじゃないよ!いっしょだよ!どこからか、そんな声が木霊してくる。嘗て、障害のある子は、神からの授かり物とされ、地域みんなで大切に扱われた者だった。群れをなす野生の動物のなかでも、生まれながらに気弱な子供は、群れ全体で育てるらしい。弱者を思いやる気持ちは、既に遺伝子に組み込まれているのではなかろうか?
 ここで、一つ言っておきたいことがあります。「仕事は自分の為ではなく、人の為にやっている。」ということです。それがわかっているのなら、私たちが何のために働いているかということも、おのずと見えてくるでしょう。(よもや、「生きるために働いているんだ!」などと、低次元な発言は出てこないですよね。)
 では、その人とは誰でしょう? ここで、「お金を支払う人」と答えた人は、まだ資本主義という【まやかし】に囚われている人です。ユーラシア大陸ヒッチハイクの旅をお薦めします。(あのときの猿岩石は本当に偉かった!)
 さて、【働ける人が働き、必要とする人が受ける】という当たり前のことわかったところで、ここで、ある意味本当に必要とされている人に登場してもらいましょう!彼らがいなかったら、我々の心は荒み、社会は今以上に荒廃していたことでしょう。それは例えば、偶然目にした絵画だったりするのです。その彼の作品が我々を救ってくれたと言っても過言ではないのです。
さあーみなさん!今こそ、心のそこから感謝の気持ちを込めて、声高らかに言いましょう!

  ありがとう障害者!

「私考 知的障害者にとって自立とは」  第3章 エイブル・アート・ムーブメント

この記事は、2005年9月17日のものです。

前回の「アウトサイダー・アート」では、不遇な運命の中で、彼らが必死で掴んだ、かけがえのない夢の世界を紹介しました。今、我々は、彼らの世界を世に認め、彼らと共に、新しい世界を築き上げようとしています。エイブル・アート・ムーブメントとは、そのような新しい取り組みのことです。フィールド・オブ・ドリームスを今ここに。

第3章 エイブル・アート・ムーブメント

エージゾンは エライひーと
そんな〜の〜 ジョ〜シ〜キ〜
パッパ パラリラ ピーヒャラ ピーヒャラ

発達障害児も、本人にあった適切な指導を与えると、通常以上の能力をみせることもある。』・・・だって〜 そんなの常識ジャン! 今頃、何言ってんの? トーマス・エジソンアルベルト・アインシュタインレオナルド・ダ・ヴィンチウォルト・ディズニートム・クルーズ、みんなみんな、発達障害児だったんですよ。みんな立派になりましたよね。重度知的障害児も生まれたときから重度じゃあなかったんですよ。ちゃんと適切な指導を与えなかったから重度になっちゃったんじゃないですか!もっと、早く気付きなさいよ〜ほんと。こう考えると、この教育の認識遅れは重大な罪ですよね!文部省・厚生省!君たちは、しかと、反省しなさい!そもそも、ジョウシキのレベルが低いんだよね、チミ達は。赤塚不二夫先生を見習いなさい!プンプン! 赤塚不二夫と言えば、

  これでいいのだ!

ですが、これこそがジョウシキというものなんだ。誰が作ったか知らないが、「ここはこーだ!あーだ!」と、勝手に決めないでほしいよね。「この子だったら、こーする」「あの子だったら、あーだね」とか、どうして見てくれないの?みんなそれぞれ違うんだから、ジョウシキが。
そりゃ〜みんな好き勝手なことやってたんじゃ駄目だってことぐらいわかるよ。だけど、みんな同じことをしなくちゃいけないってわけじゃないよね。小さいときから、シツケだとかいって、決まったことばかりやらされる。これがどうもオカシイ! 例えば、それがどうもしっくり行かないというか、性に合ってない子はいるだろう。そんな場合、その子は違うやり方を考えるよね。コレが必要なのよ!コレが!「そこを見て下さいな!」と、お願いしているんですよ!私は。
だけど、そこを見ることが苦手というか、性にあってない人が多いんだろうね、現代人には。ストレスの塊だからね。ほんと。
だから、それらをひっくるめて、いっしょくたんにして考え直してみると、つまり

  互いに互いの違いを認め合い、共に分かち合おう

と、なるんですわ。要するに、「みんなで持ち寄って、ちゃんこ鍋でも食べようよ」ということだな〜 と、いうわけでエイブル・アートって奴をやってみようじゃあ〜りませんか?というわけですよ。

「え!え〜ぶるあ〜と〜、何じゃそれ? それ、うまいんか?」  「あ〜、うまいうまい!」
「え!え〜ぶるあ〜と〜、何じゃそれ? それ、きれいんか?」  「あ〜、きれいきれい!」
「え!え〜ぶるあ〜と〜、何じゃそれ? それ、おもろいんか?」 「あ〜、おもろいおもろい!」
「え!え〜ぶるあ〜と〜、何じゃそれ? それ、それ、・・・」  「えーい、それじゃ、こちらを見て下さいな!」

  エイブル・アートwebギャラリー

そして、今、エイブル・アート・ムーブメントは、こんな風に起こってます。

・素晴らしいアートは、わたしたちの心に優しく触れていきます。そして、 わたしたちは忘れていた何かがこみあげてくるのを感じます。「美しい」と思うときは、きっと、そんなときではないでしょうか。

・人間のなかにいながら、人間のなかにいなかった人たちが、人間のなかに帰ってゆく―<ABLE ART MOVEMENT/可能性の芸術運動>は、現代社会に生きる人たちが、アートをとおして人間性を回復させ、アートと人間、社会と人間の新しい関係を築いていこうとする市民運動です。
人は誰でも、自分だけの感じ方をもっています。その感じ方をまっすぐに表現でたとき、それを認められたとき、魂の震えを感じます。そして、それを分かちあえとき、ともにあることの喜びを実感できます。

・こんなアートに会えて、ほんとうによかった。うれしくて、うれしくて、この気持ちを誰かに伝えたい。

・新しい時代の新しい福祉のあり方が問われる中で、障害のある人たちの生命の質、生活の質、人生の質を高め、いきいきと人間らしく生きることのできる福祉施設や作業所が求められています。

・「エイブル・アート」は、人間の存在の不思議さや生きることの意味を、障害のある人たちのアートを通じて問い直す市民芸術運動です。障害のある人の表現を従来のアートの枠に取り込んだり、新しい美術のジャンルを創ろうという狭い活動ではなく、障害とは何か、人間とは何かと考える取り組みなのです。

・誰でも「語りえぬもの」があります。それは、とてもなつかしく、とても大切なものと感じています。そこから来て、そこに帰っていくところであるからです。
アートを介してひととひとが出会う。ひととまちが出会う。そこに新しいものが見つけられたら、未来はきっと変わるはず。

・社会が大きく変動するなかで、すべての人が生きやすい社会をつくっていく「ソーシャル・インクルージョン(社会的包括)」という概念が注目されています。ソーシャル・インクルージョンとは、誰もが健康で文化的な生活を送ることができるように、人々を孤独や排除から救い、社会の構成員として包み込むことをめざす概念であり、近年ヨーロッパの国々では、社会変革をうながす大きな役割をになっています。

・一方、グローバル化が急速に進み、人と人との間の情報や貧富の格差が大きくなりつつある現代社会のなかで、私たちは「他者とともに生きる」ことの難しさを実感しています。
このような時代にあって、私たちは異なる存在、多様な文化が共生することを幸福と感じる社会「インクルーシブ・ソサエティ」をつくっていくために、アートに大きな可能性があると考えています。なぜなら、アートによって一人ひとりがアイデンティティを回復するとともに、他者や社会とのつながりを取り戻すことができるからです。

・「自然のなかに文化をみる」「文化のなかに自然をみる」

                                                                                                                                                              • -

もう、お気づきになられたかと思いますが、エイブル・アート・ムーブメントは社会変革です。しかも、相当に大規模なムーブメントになる可能性を秘めています。次回は、このムーブメントの可能性を障害者の側から見つめてみたいと思います。

「私考 知的障害者にとって自立とは」 第2章 アウトサイダー・アート

この記事は、2005年9月17日のものです。

前回の「パンクな自閉症ホームページ」では、自閉症とパンクの共通点をほのめかしましたが、それは、共に社会的な弱者であったことで結びついているのではないか?と思います。
では、みなさん、もし私達が、社会から阻害され、阻止することも抵抗することもできず、誰からも理解されず、無視され続けたとき、それでも生き続けることがあったとしたら、私達はどのような行動をとっているのでしょう?
そんなことを想像しながら、お読みください。

第2章 アウトサイダー・アート

序節 【現実と想像の違い】

 本当に大切なものは、目にみえないものなんだよ。
   --サンテグジュペリ著「星の王子様」より

毎日毎日、残業残業で、へとへとになって家に帰って、後は風呂に入って寝るだけ。あっという間に朝になって、もう仕事。寝ても覚めても、仕事のことで頭がいっぱい。夢なんて見てる余裕はありません。それに、夢見てたって食っていけないしなあー
というわけで、大人達は想像の世界を見失ってしまったわけであります。
そこに子供がやってきて、「サンタクロースはどこにいるの?」とか聞かれて、はっと我に帰るのですが・・・

蝶になる夢を見た中国の思想家【荘子】は弟子に向かってこう言いました。
今の私は、蝶になっている夢をみていた自分なのか?自分になっている蝶なのか?

チベットラマ教の教えでは、
現実世界は全て幻である。真の世界は死後にある。といいます。
ここでは、生きていることより死んでからの方が大切なのです。

えー、なんだか宗教臭くてイヤだなーという物質文明コテコテの人には、現代科学の多方面に多大な影響を与えた波動力学の確立者で、オーストリアノーベル物理学賞受賞者シュレディンガー博士の著書『精神と物質』より、
現実世界とは、我々の脳内の神経系統で生み出される意識の産物である。

もう、おわかりいただけたでしょうか?
そうなんです。要するに、我々が意識する限りにおいては、現実世界と想像世界に境界はないのです。

本節 【描くことの本質】

   ピカソ
 おかしいんだよ。
 おもしろいよ。
 目がほっぺのところにあったり
 口が目のよこにあったり、
 顔がめちゃくちゃなんだ。
 わらっちゃうよハッハッハッ
 梓もかきたくなっちゃったよ。

   --ダウン症の少女 梓ちゃんの詩集「こいのぼり」より

さて、本題に入ります。
今回、ご紹介するのは、不幸にも現実世界から締め出され、想像世界にしか身の置き所がなかった人々の作品です。これらの作品を称して、【アウトサイダーアート】と呼びます。まー、想像を駆使して絵や小説にする人は、現実世界にもたくさんいます。彼らはそれらの作品を作るために技術を磨き、地位を得るために発表し、生計をたてるために売ることを考えます。
しかし、アウトサイダーアーティストの最大の特徴は、
①芸術的教育を一切受けておらず、独学であること     
②作品を発表することも、売ることも考えてはいなかったこと
③既存の芸術に、全く無関心であったこと
にあり、根本的に違います。
実際、「死後、身の回りの後始末をしに行くと、その膨大で異様な作品群にビックリ!」という具合で発見されるものが大部分なのです。
彼らの作品は、一言でいうと、
①異様にデフォルメされた幻想的・妄想的なデッサン
②異常に精密な幾何学模様               
③強烈な色彩と大胆な構図
という風に芸術的基礎や社会通念を一切無視した、自由奔放・大胆不敵・荒唐無稽・支離滅裂・・・う〜ん、まずは見てください。

『アラシネ』スタッドホーフハマー・ギャラリーRAW VISION

この一銭の価値も無い恐るべき愚の骨頂を、彼らは一生涯かけて描き続けていたのであります。う〜ん、また何で?
実に不可解?奇々怪々?う〜ん?う〜ん?う〜ん?う〜ん?う〜ん?
いつまで唸っていても、答えはでません。やめましょう。なぜなら、それには理由がないからです。
彼らにとって、描くということは子供が落書きをするように、無償の衝動に他ならないからです。
現実世界に身の置き場のない彼らにとっては、生きることよりも想像することの方が重要だったのです。
これこそが、「描くことの本質」だと私は考えます。

後節【想像世界からの発信】

 きみはきみのために、これをつくったのか?
   --映画「フィールド・オブ・ドリームス」より

アウトサイダー・アーティストのこれらの行為は、考え様によっては、ただの自己満足なのかもしれません。確かに、彼らの作品が誰にも認められることなく世に埋もれていたならば、そう言わざる終えないでしょう。
しかし、彼らの作品は、後に、我々人間の根幹に迫る衝撃的な作品として、精神心理学者や前衛的な芸術家達により研究され、精神医学や心理学、文学・芸術各分野の飛躍的な発展を促すこととなるのです。ピカソやダリ、シャガールやミロ、日本では岡本太郎といった巨匠達の手によって、彼らの発信する独特のエレメントは、確実に、現代に蘇っています。そして、その現代的なアートは、映画・コミック・コマーシャルフィルム・近代建築物などとして、我々の生活様式を絶えず刺激的に変革しているのです。
現実世界から締め出され、想像世界でしか生きてこられなかった彼らの強いメッセージは、彼らの想像を絶する過酷な運命と共に、現実世界に囚われている我々が見失ってしまったもう一つの世界を、強烈に教えてくれています。
想像と現実が渾然一体となった世界の中に、生と死の危うい関係を保ちながら、我々は居る
今、彼らの作品を素直に感動するもう一人の自分が、ここに居ることに気づいて下さい!

次回は、「アウトサイダーアート」の正当な解釈から命名され、現代に息づく「エイブルアート」の現状を探ってみたいと思います。

「私考 知的障害者にとって自立とは」 第1章 パンクな自閉症ホームページ

この記事は、2005年9月9日のものです。


 昨今、「障害者の自立」というものに対しての考え方が、大きく変わっております。
 『特別施設での集中的なケアをするのではなく、地域の中でみんなと一緒に暮らせるように、地域で自立支援を行う。』という考え方です。
 やっと、「障害者にも自由と尊厳を得られるようになった」と、誠にうれしい考え方ではありますが、地域がいかにして障害者を受け入れ自立支援するかという現実的なことを考えると、それは全くの未知数で、むしろ、前途多難であると言わざる終えません。
 特に、意思疎通の難しい重度知的障害者、全く違う独自の価値基準で行動しようとする自閉症者、自分でも行動制御できない発作を起こす精神障害者のことを考えると、まだまだ地域のバリアは固いままです。地域全体での障害者理解が充分にされた上で、本来生まれ持った彼らの特質をも充分に考慮に入れた環境整備がなされない限り、障害者の未来は惨憺たる状況を迎えかねない危険性を孕んでいるのであります。
 ここで特集するのは、特にそのような未来の見えない知的障害者に対する深い理解と自立支援を願って、私なりの意見・考え方をまとめたものです。
 あくまで私考でありまして、専門的医学書でも啓蒙書でもありませんので、あしからず。


第1章 パンクな自閉症ホームページ

  俺の存在を、あたまから否定してくれ!

 今をときめく芥川賞作家[町田 康]に僕が出会ったのは、目黒のとあるライブハウスでした。彼は当時[犬]というパンク・バンドのボーカルをしていて、名前を町田町蔵と名乗っていました。この詩は、そのときの「飯食うな」という曲の出だしです。ギリギリギリと歯軋りをするようなギターから始まり、脳天をぶん殴られるようなドラム音の後、彼が目を見開いてこちらを睨みつけるように、こう歌ったのです。スゴイ!
 はー、何でこのようなことを書いているかといいますと、自閉症の少女、真理子の奇妙な世界を見つけて、これを見ているうちに、この歌を思い出したからなのです。ただ、それだけだったのですが、全く関係が無いとも思えない気がするのです。まずは、自閉症児真里子の紹介から

  生まれた時は、とても静かな女の子・・
  這い這いしながら、おもちゃ代わりに、生ごみを引っ掻き回す。
  2歳で、御飯は茶碗を投げ飛ばす。袋菓子は床にぶちまける。
  レストランでは、よそのお客さんの味噌汁を引っ繰り返す。
  3歳で、カーテンに靴墨を塗りたくる。
  5歳で、真っ白の壁一面にウンコをなすり付け。
  9歳で、自分の手を噛んだり、足をつねったりの自傷

 ここまで、自分の子を全面的にぶちまけるかのように紹介する親がいるでしょうか?スゴイ!
 これは、真実です。自閉症児を抱える親の真実の声です。あまりの恐ろしさのために、LINKに掲載するのをためらい、割愛いたしました。
 INU/町田町蔵は、その後、俳優になり、石井聰亙監督の爆裂都市(Burst City)に出演しました。
 そこで彼は、映画全編を通して、「あーー」とか「うーー」とか叫ぶだけで全身を振るい怒らせるだけの役を見事に演じ切っています。これまた、スゴイ!
 もちろん、その頃の僕は自閉症のことなど全く頭にありませんでした。しかし、今思うと、そうです、あれは自閉症児のパニック状態にそっくりなのです。
 声にならないことを声で訴え、身振り手振りで表わし切れないことを体全体で表現する。これ以上の表現方法があるでしょうか。素晴らしい!
 そのとき僕はなんとなく思ったのです。自閉症ってパンクじゃない?

  自分の身は自分で守る。勝手に生きる。

 これがパンクの精神であります。「世間のことなど知ったこっちゃない!俺は俺のやりたい通りにやるんだ!」であります。
 まさに自閉症児の精神にそっくりではありませんか。なんといとおしいガキ達よ!僕は、マルコム・マクラレンのごとく、彼らを抱きしめたくなっちゃいました。
 僕は今、パンク・ムーブメントがベルリンの壁を壊したように、自閉症が世界を変える時が来ると信じています。その兆しはARTの世界に見えているのです。
 次回は、ARTの世界に衝撃を与え続けるアウトサイダーアートについてお話します。
 最後に、自閉症児真里子のパンクな叫びをお聞きください。


  自閉児に人権は?

  人命は地球より重いなんて思い上がりの極致。
  生きる権利を有するはすべての生きもの。
  ただし、権利を守るには、智(知恵)と血(犠牲)と力(権力)が必要。
  真理子は鉄格子と「外」から鍵の囚人扱い。
  床に茶碗は犬猫並み。

超過激な福祉芸術論  『私的論考 知的障害者にとって自立とは』

 今から10年くらい前になりますが、知的障害児の「親の会」に頼まれて作っていたホームページがありまして、私はそこにこっそりと『私的論考 知的障害者にとって自立とは』という論文を載せておりました。しかも、あまりにも過激でしたので、あくまでも私的論考です!と明打っての執筆でした。ところが、ある組合員の人に、それが見つかってしまいまして、「おもしろいから、隠さないで、もっと書いて!」といわれ、調子にのって第6章まで書いちゃったのです。
 当時は、ちょうど『障害者自立支援法』というものが施行されようとしていたときで、障害者の親の会の人たちは「これは、障害者自殺支援法」だと言って猛反対していました。また、千葉県では『障害者差別撤廃条例』というものまで成立させようという動きまでありまして、障害者を雇用されている会社経営者達には「感謝の気持ちが足りん!」と大ブーイングでした。それは、障害者を挟んで、まるで戦争のような状態だったのです。
 そんな中で、最も過激だったのが『脱施設』を掲げていた人々です。障害者を施設から追い出して地域で生活させよういう運動で、実は、私もその中にいたのです。しかも私は、思想的にはパンクでアウトサイダーだったものですから、「親の会」では危険人物扱いだったに違いありません。
 しかし、これは、私流の福祉芸術論を展開し始めた原点ともいえる書簡なので、しばらく紹介していこうと考えております。それでは、次回から6回に渡って紹介いたしますので、ご期待下さいませ。

沈まぬ太陽

「結局、人は早よ死ぬか、遅そ死ぬか、それだけの違いじゃ・・・」

闘病生活を続けながら延命していた父が、いつも口にしていた言葉だった。
僕が聞いた父の言葉はそこまでで、その後に父は言葉を失ったまましばらく生き、いつしか静かに死んでいた。大往生である。
 「人は何で生きるのか?」「何のために生きるのか?」「生きる意味は何だ!」「なぜ生きなけりゃならないんだ!」などと、悩み苦しむのがアホに思えるほどに、それは単純明快な答えであり、実践だった。父が死んだ日、僕は、とても晴れやかな気持ちになり、死ぬのが怖くなくなった。それは、いつでも死ねるということであり、じゃ、もうすこし人生を楽しんでやろう!という気分にもさせるのである。不思議なものだ。「いつ死んでもいい」と思うと、いつまでも生きられる気がしてくる。悟りを開いたような心境だが、これには、たった一つの救いがあったからだと、今は思う。それは、「死んだら父の処へ行ける」という安心感だった。それから、僕は「死」が好きになった。

 ムンクは精神を病んでいた。統合失調症という精神疾患で、自分が考えていることに収集がつかなくなるという精神障害がある。このての障害には往々にして「生と死の区別がつかなくなる」という特徴があり、ムンクの場合にもその兆候があったようだ。そのようなことが伺えられるような作品が残っている。一番印象に残っているのが「生命のダンス」という作品で、そこに踊っている人たちは、幽霊のように気の抜けた人か恐ろしい狂人である。「死のダンス」というのなら解るのだが、ムンクはこの絵を「生命のダンス」と名付けている。こういうところが、ムンクの神秘性を感じるところであり、見る人を妙に深く考え込ませてしまうのであるが・・・

 僕は、ムンクの絵を見ながら、亡き父の姿を思い出した。闘病生活を続けながら延命していた父である。そこには、消えそうで消えない灯火のような魂があった。そんなことを思い出しながら、もう一度、ムンクの絵見た時、やっぱりこの絵は「生命のダンス」でなければいけない!と僕は確信した。

 この絵が描かれたのは、ムンクの症状が悪化してサナトリアムで精神治療を受けている時だという。統合失調症精神障害のため、ムンクは生と死の境界をさ迷っていた。そこには死人もいるし狂人もいる。しかし、その向こうには北欧特有の沈まぬ太陽が地平線すれすれで微かに輝いている。この光こそが生命なのである。天に上ることはないけれど、決して沈むこともない。死と隣り合わせに生きている人たちにとって、この太陽こそ生きている証なのだ。

この世の中には強くない人もいる。強くなれない人もいる。ぎりぎりで生きてる人もいるんだ!
父が言ってた言葉が聞こえてくる。「結局、人は早よ死ぬか、遅そ死ぬか、それだけの違いじゃ・・・」

(とうちゃん、もうちょっと待って、僕はもう少し「沈まぬ太陽」を見ていたい・・・)