空日記画家 猪野兼士

それは、たった1枚の絵を見たことからから始まりました。Facebook上に現れた、ただの空の絵でした。正確には、空に雲が浮かんでいる様を描写している絵といったらいいでしょうか? 普段、空など見ることもない私が、一人、薄暗い部屋の中で、パソコン画面に映し出されていた小さな空の絵を眺めていたのです。何の奇抜さも仰々しさもない、平凡極まりない絵でした。さらに驚きだったのは、そんな空の絵が、1枚も欠けることなく1年365日分あったことです。
作者の名前は、猪野兼士。毎日、必ず決まった時間に、空の絵を1枚だけ描きます。
絵の大きさは、常にF0という最小サイズで、しかも必ず、黒く縁取られています。その幅はまちまちで、その時の心情が現れているのだそうです。晴れやか日(空模様ではなく心模様です。)は黒縁は少なく、暗い日は黒縁が多いそうです。ここに、事務的な作業を進めている作者の、唯一の心情が表れています。
私はここに、今までとはまったく違う、新しい「空」の表現を見る思いがしました。
概ね絵画表現で空とは、画面に表しきれない作者の心情を表わすことが多く、それは、予感であるとか共感であるとか、あるいは不安や期待、恐怖や希望といった心理的演出のために用いられております。したがって、空は概ね画面全体を覆い尽くすかのごとく、広い領域を占めているのですが、猪野氏の描く空は、F0と小さく、しかも黒く縁取られた、見ていると切なくなってきそうなほど、閉じ込められた空です。それは、まるでタブレットの中でしか交信できなくなった現代の智恵子を彷彿とさせます。
しかし、その空はもはや心理効果として機能するものではなく、純粋に私たちを覆い尽くしている空そのものでしかありません。そしてそれゆえ、あえてそこにダイナミックな空を求めるという意図もなく、只、無欲に堅実に気象予報士のように空を観察する猪野氏がいるのです。
猪野氏は、あえて空に期待をよせることもせず丁寧に確実に空を描写することで、より一層、空を知ることが出来るようになったことでしょう。それを確かめるには、猪野氏の1年365日の空の絵を見てみるところから始めなければなりません。そのように、空を一つずつ確かめて行きましょう。
今日の地球はどんな空? あなたの心模様は?