「私考 知的障害者にとって自立とは」 第1章 パンクな自閉症ホームページ
この記事は、2005年9月9日のものです。
昨今、「障害者の自立」というものに対しての考え方が、大きく変わっております。
『特別施設での集中的なケアをするのではなく、地域の中でみんなと一緒に暮らせるように、地域で自立支援を行う。』という考え方です。
やっと、「障害者にも自由と尊厳を得られるようになった」と、誠にうれしい考え方ではありますが、地域がいかにして障害者を受け入れ自立支援するかという現実的なことを考えると、それは全くの未知数で、むしろ、前途多難であると言わざる終えません。
特に、意思疎通の難しい重度知的障害者、全く違う独自の価値基準で行動しようとする自閉症者、自分でも行動制御できない発作を起こす精神障害者のことを考えると、まだまだ地域のバリアは固いままです。地域全体での障害者理解が充分にされた上で、本来生まれ持った彼らの特質をも充分に考慮に入れた環境整備がなされない限り、障害者の未来は惨憺たる状況を迎えかねない危険性を孕んでいるのであります。
ここで特集するのは、特にそのような未来の見えない知的障害者に対する深い理解と自立支援を願って、私なりの意見・考え方をまとめたものです。
あくまで私考でありまして、専門的医学書でも啓蒙書でもありませんので、あしからず。
第1章 パンクな自閉症ホームページ
俺の存在を、あたまから否定してくれ!
今をときめく芥川賞作家[町田 康]に僕が出会ったのは、目黒のとあるライブハウスでした。彼は当時[犬]というパンク・バンドのボーカルをしていて、名前を町田町蔵と名乗っていました。この詩は、そのときの「飯食うな」という曲の出だしです。ギリギリギリと歯軋りをするようなギターから始まり、脳天をぶん殴られるようなドラム音の後、彼が目を見開いてこちらを睨みつけるように、こう歌ったのです。スゴイ!
はー、何でこのようなことを書いているかといいますと、自閉症の少女、真理子の奇妙な世界を見つけて、これを見ているうちに、この歌を思い出したからなのです。ただ、それだけだったのですが、全く関係が無いとも思えない気がするのです。まずは、自閉症児真里子の紹介から
生まれた時は、とても静かな女の子・・
這い這いしながら、おもちゃ代わりに、生ごみを引っ掻き回す。
2歳で、御飯は茶碗を投げ飛ばす。袋菓子は床にぶちまける。
レストランでは、よそのお客さんの味噌汁を引っ繰り返す。
3歳で、カーテンに靴墨を塗りたくる。
5歳で、真っ白の壁一面にウンコをなすり付け。
9歳で、自分の手を噛んだり、足をつねったりの自傷。
ここまで、自分の子を全面的にぶちまけるかのように紹介する親がいるでしょうか?スゴイ!
これは、真実です。自閉症児を抱える親の真実の声です。あまりの恐ろしさのために、LINKに掲載するのをためらい、割愛いたしました。
INU/町田町蔵は、その後、俳優になり、石井聰亙監督の爆裂都市(Burst City)に出演しました。
そこで彼は、映画全編を通して、「あーー」とか「うーー」とか叫ぶだけで全身を振るい怒らせるだけの役を見事に演じ切っています。これまた、スゴイ!
もちろん、その頃の僕は自閉症のことなど全く頭にありませんでした。しかし、今思うと、そうです、あれは自閉症児のパニック状態にそっくりなのです。
声にならないことを声で訴え、身振り手振りで表わし切れないことを体全体で表現する。これ以上の表現方法があるでしょうか。素晴らしい!
そのとき僕はなんとなく思ったのです。自閉症ってパンクじゃない?
自分の身は自分で守る。勝手に生きる。
これがパンクの精神であります。「世間のことなど知ったこっちゃない!俺は俺のやりたい通りにやるんだ!」であります。
まさに自閉症児の精神にそっくりではありませんか。なんといとおしいガキ達よ!僕は、マルコム・マクラレンのごとく、彼らを抱きしめたくなっちゃいました。
僕は今、パンク・ムーブメントがベルリンの壁を壊したように、自閉症が世界を変える時が来ると信じています。その兆しはARTの世界に見えているのです。
次回は、ARTの世界に衝撃を与え続けるアウトサイダーアートについてお話します。
最後に、自閉症児真里子のパンクな叫びをお聞きください。
自閉児に人権は?
人命は地球より重いなんて思い上がりの極致。
生きる権利を有するはすべての生きもの。
ただし、権利を守るには、智(知恵)と血(犠牲)と力(権力)が必要。
真理子は鉄格子と「外」から鍵の囚人扱い。
床に茶碗は犬猫並み。