死国

神代の時代から、この地は流刑地としてあったようである。都から追放された者どもは、この地で無念の死を遂げたのであろう。町なかから少し離れた山中の窪地には、これら不遇の死を遂げた者どもの霊が蠢いていたと思われる。そのような死霊蠢く地をひとつひとつ訪れ、供養してまわった僧侶こそ、弘法大師その人であり、彼の偉業によって、この地には合計88箇所の霊場が出来上がった。人々は今でも、その88箇所の霊場をひとつずつ訪れ、霊たちの供養を行う。これを遍路と呼ぶのだが、世界広しといえども、今もってこのように死者達と繋がっていようとしている地が他にあるだろうか? まさに、ここは死の国である。『四国』の語源はもしかしたら『死国』かもしれないと思ったのは、そんなわけだった。
 ほとんど、学校に行くこともなく、ひとり部屋に篭っていた少年は、あるときから、奇妙に細かな装飾的線描を画面いっぱいに描き始めた。まるで、呪文でも唱えるかのように、一日5時間は集中して描き続けるという。それは、あたかも生と死のぎりぎりの境界線を歩いているかのような緊張感をかもし出し、極めて切なく美しい図柄を構成していた。
「この絵は寺に合うな。」と、僕は正直に感じたことを口にした。すると「・・・寺、好き・・・」と少年はつぶやいた。いろいろ聞いてみると、寺には妖精がいて、気分が落ち着くのだという。特に、夜の寺が好きだそうだ。期待通りの答えに僕はおもわず嬉しくなった。高機能自閉症だ。過敏な神経ゆえに、通常の人には感じないモノまで感じ取ってしまう特殊な人だ。彼の作品を見ていると不思議だ。いつしか忘れてしまった自分の内面世界を旅し始める。
 絵画というものは、実は極めて精神的な活動により造られる通信機のようなものであり、それを駆使することで、人々は死の世界と交信していたのではなかろうか?と思う。 本来、人々は、そのような精神文化の中で生きてきたはずだったのだ。四国には、未だ、その世界観が残っている。とても、貴重なことであり、物質文明が蔓延っている現代社会にとっては、極めて重要な文化である。