道後の地にMUTANT現る!

 既に、頭の片隅にあったのかも知れない。文学・宗教の百科事典をぺらぺらとめくっているうちに、「一遍」という、どこかで聞いたことがあるような名が目についた。

 寺も持たず、檀家も持たず、生涯、全国を行脚してまわった僧侶。尊称「捨て聖」。道後の生まれ。

 出家するということは、俗世を捨てることであるのだから、無欲の僧が多いは当然なのであるが、一遍にいたっては、もはや上気を逸している。「信不信をえらばず、浄不浄をきらはず・・・」というのだから、これは、もはや宗教家の枠を超えているのではなかろうか? さらに「捨ててこそ・・・」の思いは「我が屍は野犬に食わせよ」とまで公言するまでにいたったのであるから尋常ではない。

 そして、山頭火の話である。

 一笠一杖一鉢の行乞行脚の旅を始め、自然と一体となり、自己に偽らず、自由に一筋の道を詠い続けた山頭火が終焉の場所として選んだのは、道後からさほど遠くない御幸寺の境内だった。

 これまた、道後である。道後という地には、不思議な魅力がある。世を捨て世界を放浪し続けた人々を、やさしく向い入れてくれる地とでも言おうか・・・ そう、ここには、世界最古の現役銭湯ともいえる古き温泉「道後温泉」もある。

 道後。道の後。・・・あ! 高村光太郎の「道程」を思い出す。

 ぼくの前に道はない。
 ぼくの後の道はできる。

 彼らは、自然の中に分け入り、道を作った人たちだ。そして、古くは、あの遍路道を作った弘法大師もそうだったではないか。彼らこそ、世界で最初の一歩を踏みしめた人なのだ! これは、まさに前衛だ!
そして、今、僕の中では、ジャック・ケロアックの「路上」も浮かんでくる。

 嗚呼!
 道を求めて放浪の旅に出た人たちよ!
 後で、いつでも戻っておいで・・・
 新たな人となって、MUTANTとなって
 世界は一つではない。
 道後の地には Radical Art Center MUTANT があり、
 君たちがやってくるのを待っている。
 そして、MUTANTが人類を救うのだ!