見捨てられざるモノ

 高知の沖の島であった「沖の島アートプロジェクトVel3」の番外編ともいえる『るくる島黄金伝説』だが、これはものの見事に【伝説】という結末を迎えた。そのあまりの結末にショックを受けた私は、おもわず「さっぱり、わからんないよ〜!」なんて言葉を漏らしてしまったわけだが・・・。
 その後、この特別プロジェクトの発生状況や現地状況などもろもろのことを考えていくうちに、いままでのアート史上では、無いがしろにされ続けてきたある重要な部分に気づいたので報告したいと思う。
 それは、いままでグローバル経済に侵食されて続けてきた美術も含めた文化全体の崩壊という現象である。

 我々はTVやインターネットなど大手情報メディアによって情報操作されていることは否定することのできない事実である。そのことを充分承知していても、現状を再度、把握することなどはしない。その地にどんな人が住んでいて、どんな生活を送っていて、幸せかどうか?など・・・そんなことはお構い無しに、自分達の便利で豊かな生活を基準に、いらないおせっかいをする。(あたかも、慈善事業を施したかのように・・・。)しかし、ここで基準を設けてしまったがために、見捨てられてしまったものもいることに気づいていないのである。
 『るくる島黄金伝説』は、こんな限界集落の島にあったとされる黄金伝説の話である。プロジェクトチームは、いまや見捨てられたこの島で消え去ろうしている文化を再生(採掘?)しているわけであるが、このことを地方行政は認めようとしなかったらしい。おそらく、この島を「無人島」にしてしまうほうがお金がかからなくて済むと踏んでいたからであろう?この島には、神社や寺の跡もある。昔は、家族で盆も正月も祝ったことだろう。この島独特の文化もあったかもしれない。しかし今は、これを崩壊されるがままにしてしまおうとしているのが現状だ。
 ここで気にかかるのが、常に新しくて垢抜けている文化を良しとする風潮である。経済のグローバル化が生み出した価値観であり、地方という特色を奪っている。地方のアートプロジェクトが求めているものの大部分もこのような都会文化の模倣であり、その弊害がまさに地方と呼ばれている地方に来ていることを現場は気にするべきである。これは、即ち、日本人としての文化意識の衰退の何ものでもないのだが・・・
 
 だからであろうか?
 この『るくる島黄金伝説』には「簡単には、教えてやらないぞ!」という『伝説的謎!?』が秘められていた。ある意味、経済活動から切り離された純粋な芸術活動である。この尋常ならざる秘密主義的アートパフォーマンスを、私は【見捨てられざるモノ】の最後の抵抗として、心の奥底に留めておきたいと思う。