心で見る

 大学時代に森を写生していたときのことである。色の違う木々を細かく塗り分けるのに、いまいちわかりづらい。(もっと、近くにいって見なけりゃなあ!)僕は、素直にそう思った。ところが、近づけば近づくほど、森は見えなくなり、ついに木しか見えなくなるではないか!僕は、このとき、初めて、「見るのは難しい」と感じた。
 それから、どうやれば「上手に見れるのか?」ということを考え始め、ついに、『視覚』という絵が完成したのだが、今思うと、この絵は僕が始めて描いた抽象画だったかもしれない。なぜなら、それは、産まれたばかりの赤ちゃんが見た世界を絵にしたものだから。(もちろん、想像だが・・・)
 おぼろげではあるが、そのときから僕は、「形は、後から頭の中で作られるのではないか?」という仮説を立てていた。つまり「世界は目で見えるものではない!」ということである。そう思う方が、僕には自然だったのだ。

 では、世界が目で見えるものでないならば、どうやって、世界を知るのか?

 再び、子どもの絵を見てみよう。
「やたら、顔が大きい。手足はちっちゃくて、指なんてないじゃないか。おかあさんの目は大きくって、いつも、笑ってるよ。あれあれ、おとうさんは、こんなに小さいか?」
・・・みたいな、感じかな?

 実は、これが真実であって、子どもに見えている本当の世界だ。これから大人になるまでに、顔とは・・・。とか、手とは・・・。とか、足とは・・・。とか、目とは・・・。とか、いろんなこまごまとした情報がインプットされて、形は変わってしまうんだけどね。

 「ピカソはわざと形をゆがめて描いていた。」なんていうけど、本当はそうではなく、情報によって歪められていない真の世界を描こうとしていただけなんだ。それは、こどものような無垢な心でしか見ることのできない本当の世界なのさ。