「ゲームがアートを越える」と感じたとき

 私は、大学時代、アート関係の職に就きたいと思っていたのだが、美術関係の単位は一つもとっておらず、おまけにコネも全くなかったので、思うようにはいかないでいた。そこに、コンピューターグラフィック制作とTVゲーム制作という、興味深い職種が目に入ってきたのである。
 当時のコンピューターグラフィックといえば、まだまだ研究段階であり、商用に使えるような状態ではなかったのだが、その企業は、世の先陣を切って商品化に踏み切ったベンチャー企業だった。認知度は皆無に近い。おそらく、仕事は過酷で給料は安いだろう。しかし、夢がある。私の気持ちは、幾分、動いた。
 一方、TVゲームはどうだろう?
 当時、TVゲーム制作会社で働いていた人というのは、コンピューターやアニメーションの専門学校卒の人がほとんどであり、大卒というのはこれも皆無に近かった。しかも、社員は、コンピューター、アニメ、ゲームにしか興味なさそうな「おたく」ばかり。現代美術家を目指していた私とは人種が違う。
 これはどうも、コンピューターグラフィックの方が、私には向いているように思えた。しかし、結果、私が職に選んだのはTVゲーム制作の方だったのである。その理由は、次の直感だった。

 「ゲームはいずれアートをしのぐであろう」

ゲームには『絵を操作させる』という、いままでのアートにはなかった感覚がある。おそらく、いままでの『見る』芸術は、これから、この『動かす』芸術に変わってゆくだろう。私には、そのような予感がしたのだ。